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八戸えんぶり

えんぶりとは

八戸えんぶり

国の重要無形民俗文化財「八戸えんぶり」は、八戸地方に春を呼ぶ豊年祈願の郷土芸能。その名は田をならす農具「えぶり」や、「いぶり」(ゆすぶり)に由来すると言われ、冬の間眠っている田の神をゆさぶり起こし、田に魂を込める儀式とされています。

えんぶりの一番の見どころは、太夫(たゆう)と呼ばれる舞手が、馬の頭をかたどった華やかな烏帽子(えぼし)を被り、頭を大きく振る独特の舞。
その舞は、稲作の一連の動作である、種まきや田植えなどの動作を表現したものです。

太夫の舞の合間には、子どもたちによる可愛らしい祝福芸が披露され、見る者を楽しませてくれます。

えんぶりの起源

伝説も含め様々な説がありますが、鎌倉時代の始め、南部氏の祖・南部光行(なんぶみつゆき)が奥州の地にやってきた頃に始まったというのが通説です。
奥州で迎える初めての正月、酒の勢いで抜刀乱舞となった家来たちの騒ぎを、機転を利かせた農民・藤九郎(とうくろう)がにぎやかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ることで収めました。
この出来事が、えんぶりの起源だと言われています。

その後、明治時代に入るとえんぶりがいかがわしい習慣であるとして禁止されましたが、当時の有力者・大沢多門によって長者山新羅神社の「豊年祭」という形で復活を遂げ、現在に至ります。

主なえんぶり行事

八戸えんぶりは、毎年2月17日から2月20日まで開催されます。

奉納摺り

毎年2月17日の早朝、えんぶり組が長者山新羅神社に集まり、本殿の前でえんぶりの摺りを奉納する「奉納摺り」(ほうのうずり)。
冬の早朝の冷たく澄み切った空気の中、神前で行われるえんぶりは厳かな雰囲気に包まれています。

えんぶり行列・一斉摺り

長者山新羅神社での奉納を終えた各えんぶり組は、長者まつりんぐ広場に移動し、「えんぶり行列」の出発を待つ間、思い思いにえんぶりを披露します。
その後、「えんぶり行列」が八戸市中心街まで練り歩きます。
そして、えんぶり組が中心街に到着すると行われるのが「一斉摺り」(いっせいずり)。
中心街に集結した30数組のえんぶり組による一斉の舞は圧巻で、数あるえんぶり行事の中でも最大の見どころの一つとなっています。

一斉摺り 祝福芸

一斉摺り 太夫の舞

御前えんぶり

もともとは殿様の御前(ごぜん)で舞ったえんぶりの名残として、八戸市長はじめ関係者の前で、7組のえんぶり組が年番制で、えんぶり摺りを披露します。
一般の方も鑑賞できます。

えんぶり公演

八戸市公会堂ステージで行われる行事「えんぶり公演」。
迫力の摺り(すり)や愛らしい祝福舞など、えんぶりの魅力を余すところなくじっくり鑑賞できます。

かがり火えんぶり

期間中の夜に行われる「かがり火えんぶり」。八戸市庁前広場にかがり火が焚かれ、その明かりの中でえんぶりが行われます。
かがり火に照らされ、烏帽子(えぼし)がきらめく太夫(たゆう)の舞や、夜空に響きわたるお囃子は情緒たっぷり。昼とは異なる魅力にあふれています。

かがり火えんぶり

えんぶり一般公開

八戸市庁前広場の特設ステージで披露される「えんぶり一般公開」。
日中に披露されるえんぶりはとても華やかな雰囲気。どなたでもご覧いただけます。

えんぶり一般公開 祝福芸

えんぶり一般公開

史跡根城えんぶり撮影会

鎌倉時代~江戸時代初期にわたって八戸地方を統治した拠点であり、日本100名城にも選ばれている史跡根城(ねじょう)の本丸主殿前で行われる撮影会です。

お庭えんぶり

かつては、「だんな様」と呼ばれる大地主や有力商家の土間や座敷で披露されることもあったえんぶり。
そんな昔の風情を再現したのが、明治~大正時代の財閥の邸宅「更上閣」(こうじょうかく)の庭園で行われる「お庭えんぶり」です。

夜の庭園で披露されるえんぶりは、昼とはひと味違う幻想的な雰囲気。
甘酒と八戸せんべい汁を味わいながら、お屋敷のだんな様気分でえんぶりを鑑賞する贅沢なひとときを過ごすことができます。

お庭えんぶり 昼

お庭えんぶり 夜

最後に

八戸地方に春を呼ぶ 豊年祈願の郷土芸能「八戸えんぶり」。
きらめく烏帽子をまとい、凍てつく冬の大地を摺る太夫の舞には、豊作を願い春を待つ人々の願いが込められています。
八戸の厳しい冬が育んだ郷土芸能を是非一度、ご覧下さい。

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