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日立ソリューションズ東日本

東日本の光輝く企業:オリエンタルカーペット株式会社

オリエンタルカーペット社製絨毯

絨毯(じゅうたん)の歴史は3千年もの昔にまでさかのぼります。
ペルシャ絨毯の生産地として知られる現在のイラン周辺に「パイルのあるカーペット」が発祥しました。その後、このペルシャの手作りのカーペット(緞通:だんつう)技法がシルクロートを経てインドや中国に伝わり、さらに十字軍の度重なる遠征などを経てヨーロッパ諸国にも伝わりました。
パイルのある敷物が日本で作られるようになったのは、江戸時代に入ってから。日本の緞通の製法は元禄年間に九州の鍋島藩にもたらされたのが最初で、その後、赤穂、堺等、各地に広がりました。緞通の名は中国語のタンツに由来しているといわれています。

そんな長い絨毯の歴史の中、独自のルートで「山形緞通(だんつう)」を造りあげ、日本人の美意識とその手技による「日本の絨毯」づくりを実現してきた企業が山形県東村山郡山辺町に本社を置くオリエンタルカーペット社。
伝統的な手織りと独自の技術が融合された絨毯は、皇居新宮殿や京都迎賓館、アメリカ合衆国大使館等の日本国内はもとより、バチカン宮殿やサウジアラビア王国等、お客様をもてなす空間に用いられています。
そんな、オリエンタルカーペット社の「モノづくり」の現場をお訪ねし、お話しを伺いしました。

Q.こちらへ来るタクシーの中で、御社のことを色々話していただきました。とても、地元の方に愛されているんですね。

そうですね。この近辺では、それなりのネームバリューはあるつもりでいます。
ただ、東北でも仙台圏、そして関東圏になると、山形の小さな町で絨毯づくりをやってることをご存知の方は少ないので、まだまだ情報発信の必要があると思っています。

Q.御社の絨毯は独自ルートで造り上げたと伺いましたが、絨毯づくりを始めるきっかけを聞かせて下さい。

オリエンタルカーペット国井氏
インタビューに対応いただいた
同社 国井 総務部長

絨毯づくりを始めた当初は、東北は凶作や冷害で貧しい生活を強いられていた時代でした。特に、この山辺町の地域は鉄分が多く含まれる水で中々田畑に適さなかったため、特に貧しい生活だったようです。

当社の前身となる会社は、もともと木綿織の機屋をしていました。この地域の水は田畑には適さないのですが、藍染には適していました。藍染は鉄分がある方が綺麗に発色するんです。ただ、木綿だけでは中々雇用につながらないので、創業者が「何とか働き口を作りたい」「何かいいものはないか」と当時探していたんです。その時に中国の絨毯に巡り合いました。

この辺は元々織物や蚊帳織が盛んだったため、織物に対する感性はあったと思います。そんなことで、絨毯と巡り合って、昭和10年に何もないところから、中国から7名の技術者を招いて立ち上げました。
日本では、絨毯は発祥の地ペルシャからシルクロードを通って中国に伝わり、朝鮮半島経由で、日本では鍋島に伝播。その後、赤穂や堺に伝承していきました。そういう成り立ちと、我が社は全く別で、何もないところから技術者を呼んで作り上げたというのが特長です。

Q.当時、何もないところから事業を始めるのは大変だったのではないでしょうか。当時のことで何かお聞きしていることはありますか?

当時は糸も機械も何もなかったですから、山に行って木を切って、「しょっか」という機械づくりから始まったと聞いています。
戦争が始まり、一時期は軍事工場になり操業を中断したこともあります。昭和23年に戦地から戻られた方を中心に操業を再開しようという話がまとまり、この地に新しく工場を建て再開しました。

戦前の糸と、戦後アメリカに輸入していた絨毯と葛の根

当時は、山辺町の周辺でも羊を飼っていたが、山岳以外では弾力性のある羊毛が出来ないと断念したのが、羊毛を輸入するきっかけ。また、戦後の羊毛が入らない時は、食用でもあった葛(くず)の根を砕いて糸を取り、その糸をGHQに売り込みに行き納めていた。山形にそういう技術があるならということで、羊毛の輸入割当量をもらった歴史もある。
「当時は日本にマーケットが少なく、ほぼアメリカに輸出していました」(国井氏)

オリエンタルカーペット糸の写真

事務棟と織物工場、そして染色工場は当時の建物のままです。中は、木を組んであって昔の体育館のような懐かしさを感じる建物になっています。
昔は当社の隣に山辺城の本丸跡地があり、そこに役場がありました。今は役場は別の場所に移りましたが、その当時は町の真ん中に工場を作ってしまったことになります。
山辺城の跡なので岩盤が固く、地震があっても壊れずに今日に至っています。

Q.建物の淡いピンクが綺麗ですよね。当時からこの色だったんですか?何か意味があるんでしょうか。

当時から、この色でしたね。
あとは、工場もですが、窓が多いんです。
女性が細かい仕事をするので、なるべく明るく労働環境の良いところで作業をしてほしいと考えていたようです。
この設計も創業者自らが行ったんです。

オリエンタルカーペット糸の写真

Q.「社員を大切」にするということを大事にしているんですね。当時だと、そこまで考えている企業は少なかったのではないでしょうか。

そうですね。『「創美恒心」をもって我が社の経営理念とする』というのが、創業時からの当社の経営理念です。
また、創業者は、新しい仕事を始めるにあたっての心構えをノートに記入していたんです。

  • 従業員に好機を与える
  • 純白のエプロンをさせてあげる
  • 年に2回弁当で従業員を慰労してあげなさい
  • 事業の成功不成功は人材育成が一番

当時から、こういうことを考えていたようです。
ただ、当時は企業側もそういう余裕はなかった時代ですから、創業者も絨毯と出会ってから事業としてやると決断するまで約1年ぐらい悩んだそうです。

Q.絨毯というとペルシャ絨毯のように柄も細かくて華やかな絨毯をイメージしていましたが、御社の絨毯は、着物の柄のような、日本人独特の渋めの色がありますよね。こういった色が出るというのは、やはり自社で染めているということもあるんでしょうか?

そうですね。ペルシャ絨毯等の幾何学模様とは違いますね。当社はデザイナーもおりますし、和風に近いデザインも多いかもしれませんね。美しさを追求した歴史です。
当社の特長・強みは、紡績から染色、織り、最後の仕上げのマーセライズという処理まで一貫して管理しているんです。
糸はイングランドの山岳種やニュージーランドの羊毛を使用しています。絨毯は踏みつけられるものなので、踏みつけたまま、へこんだままでは困りますから山岳の厳しい環境で育った羊毛ほど絨毯に向いています。更にオリエンタルカーペットの仕様で紡績をして頂いております。製品の種類によって糸の太さや混合割合を最適な組合せで行っております。それを染色工場で染色して織り上げています。

オリエンタルカーペット糸の写真
和風なデザインの絨毯

Q.シンプルな柄のものだと、逆に色や織にムラが出てしまって難しいのではないでしょうか。

当社の技術の違いは、中間色というか、ぼかしをどう出していくかという所にあります。染色が自社じゃないとできないということもあるし、どうやって日本的な美しさを出していくかという事が一番難しいんです。
製品を織りあげる時にも、実際に織る技術者に適当に織ってという訳にはいきません。きちっとしたデザイン画を作って、ここからここまでは、この色で織ってと設計図がないと織れないんです。
それに基づいて色の指定をするんですが、その色を出すために様々な工夫をしています。これは自社に染色工場がある強みだと思います。
大体、色のストックは2万色ぐらいあるんですよ。

デザイン画と色を指定した割付図

デザインを元に割付図(設計図)を描く。左側の写真のデザイン画を元に糸の番号を付けた割り付け図が右側の写真。この図を元に織る作業が進められる。この割り付け図を作る作業は手作業のため実は織る以上に大変な作業。
「この作業には若い人を担当者にして人材育成をしています。」(国井氏)

オリエンタルカーペット社デザイン画と割付図

Q.2万色ですか?そんなに色の種類があることに驚きました。

絨毯の染色は「堅牢染め」です。
手織りの絨毯は、大体100年とか200年とか持つんですね。
例えば、今、京都祇園祭の月鉾の銅掛けの複製作業をしていますが、それはインド絨毯で、大体300年前のものなんです。
絨毯は、きちっとした染色がないと、色あせてしまうことがあるんです。クリーニングや日焼けなどで退色することがないように染色には特に気を使ってます。
自然の染料では中々色は出せないので化学染料で、この色については、この薬品を何パーセントというデータがあるんです。ですから、大体2万色ぐらいの色があります。

京都祇園祭の月鉾の銅掛けの複製作業の様子

織っている絨毯の後ろにあるのが色の番号が書いてある設計図。この設計図に書いてある番号と同じ番号の糸を一段一段織っていく。八の字に絡めながら切るため糸が抜けることはなく接着剤がいらない。
「ベテランになるとあまり考えずに織ります。一段ズレると柄が違ってしまうので、設計図を見ながら織っていくのは大変な作業なんです。」(国井氏)

オリエンタルカーペット祇園祭り胴掛け複製作業

染色の試験室・機械・染色前の糸

同社では、染料に浸けて染色する方法と、染料をシャワーのように巡回させて染色する2種類の方法で染色をしている。どういう色をだすか試す機械もある。フラスコやビーカーを使い染色の薬品を入れて色を試す場合もあるという。
「ここは蒸気を使って作業をするので夏場はとても大変な作業になります。」(国井氏)

オリエンタルカーペット社染色の試験室・機械・染色前の糸

Q.色の研究は、すごく奥が深いんですよね。

そうですね。ですから、織の技術も必要ですが、染色技術もないと希望の色が中々出せないんです。お客様からデザイン画を出されて、「こういう色のこういう絨毯が欲しい」という注文もありますから、その時の注文に合わせて試し染めをしながらご希望の色に沿うこともあります。

糸の色の見本

黄色だけでも、かなりの色の数がある。色を組み合わせて、模様を出していく。

オリエンタルカーペット祇園祭り胴掛け複製作業

最後の仕上げに、美しい風合いと光沢が得られるマーセライズ処理があります。
アルカリ溶液の入ったプールのようなところに絨毯をつけて、そこで床を掃除するポリッシャーで表面をこすって艶を出す処理です。普通、絨毯は、ひっかくと細かい毛が出る遊び毛がありますが、マーセライズ処理で遊び毛も無くせます。
表面をこすって艶を出す。この技術を確立しているのも弊社だけなんです。

マーセライズ処理を行う場所

アルカリの薬品をポリッシャーを使って表面を綺麗にする。この処理があるから、細かい毛糸が取れて表面のなめらかさがでる。大きいものだと10名ぐらいで作業をすることもあるという。
「この技術は、当初は中々上手くいかずに苦労したと聞いています。薬剤の割合、温度管理等、試行錯誤したそうです。」(国井氏)
この場所も温度管理の必要があり、クーラーを入れられず、特に今年の猛暑は厳しい作業だったとのこと。

オリエンタルカーペット社マーセライズ処理の場所

Q.全て一貫した処理ができて、更に、最後の仕上げのマーセライズ処理というのは御社だけの技術。本当に品質に徹底的にこだわっているんですね。

それを追求してきた歴史だと思っています。マーセライズ処理をすることによって、何年かお使いになったような風合い(つや、光沢)を出すんです。若干、変色しますし、縮みます。織がしっかりしていないと、この処理に耐えられないんです。染色の技術も、糸を紡ぐ紡績の技術も、全てを完璧に処理をしていないと最後の仕上げまで耐えられない。それができるのは、品質の証しでもあります。

マーセライズ処理をしている絨毯としていない絨毯

左側4本の絨毯がマーセライズ処理をしている絨毯。右側と比べて、若干色のトーンが落ちているし、長さも短くなっている。触ってみると手触りも全然違い、処理後のものの方が表面が固く弾力性がある。
「マーセライズ処理後の仕上がりを読み取って染色や色の選択、織りをやっています。」(国井氏)

オリエンタルカーペット社マーセライズ処理の比較

Q.織の技術を身につけるまでにはどのぐらいの期間がかかるんでしょうか?

通常ですと、普通に織るまでに3年と言われています。玄関マットのような幅の広くないものは一人で織るんですが、6畳や8畳となると何人かで織るんです。一人で織る場合は自分のペースでいいのですが、3人、4人となると、ある程度「慣れ」が必要になります。それに慣れるまでには5年かかると言われています。
織っている現場を見てもらうと分かるのですが、縦糸と横糸があって、そこに指定された糸を八の字に絡めていくんです。それを一段ずつ織っていく。そして、一段終わったら、横糸を通してしめる。そしてまた織っていく。
何人かで織ると全員の息が合わないと仕上がりに綺麗な織が出ません。ヨレやムラになってしまうんです。
絵を織る場合もあります。それには、10年20年の経験が必要です。

織画と言われる「絵」を織る技術

写真では絨毯だということが分からない程完成度が高い。通常の絨毯は、1日7~8cm織ることができるが織画は5cmぐらいしか織れない難しい作業だという。
「こういうものを作るというのも技術者のモチベーションの一つになっています。」(国井氏)

オリエンタルカーペット社絵を織った絨毯

Q.技術者の方は女性が多いのでしょうか。

管理工程には男性もいますが、技術者は十数名が全て女性で、20代・30代・40代と50代の大ベテランの社員がいます。
織の作業自体は、華やかではないし極めて単調で忍耐が必要な作業ですから、何かがないと出来ないですよね。誇りだったり伝統だったりということが彼女たちを支えているんじゃないでしょうか。
これからの課題としては、もっと若い人たちを確保しなければいけないと思っています。

二人で織る作業の様子

二人で織る場合、二人の息が合わないと上手く織れない。設計図を見ながら、二人のスピードや織の強さ等、色々なことを息を合わせないと綺麗に仕上がらない難しい作業。
「三人の場合、若い技術者の両脇をベテランの技術者にして作業します。その方が三人のペースが合せやすいんです。」(国井氏)

オリエンタルカーペット社二人で織る作業の様子

Q.皆さん、やりがいを持ってらっしゃるんでしょうね。

いいものを作って、それをお客様が持った時の感激。それがあるから皆が頑張れるんだと思います。
皆、誇りを持っていますね。
今は、どちらかというと価格競争だけになっている面もありますよね。ただ、当社の製品を見たり、工場を見学いただいて、当社の絨毯の良さや価値を理解したお客様にお買い上げいただきたいと思っています。
価格競争だけじゃない。いいものをつくる「モノづくり」の部分は残していかなきゃいけないと思いますね。

オリエンタルカーペット社二人で織る作業の様子

大きい絨毯の場合は、クラフトンという工具を使って手刺の絨毯を織ることも。
木綿の生地に工具で糸を打ちこんでいる。右側の写真が実際の絨毯の表側になるという。
「お使いいただく環境にもよりますが、工具を使った絨毯でも50年はご使用いただけます。」(国井氏)

Q.工場見学にはどのぐらいの方がいらっしゃるんですか?

年間に2000名ぐらいの方がいらっしゃいます。皆さん感激して帰られます。
当社の製品は高額な商品が多いので、若い人より年配の方が多いです。雑誌やTVを見たという方だったり、中には勉強したいということで学生さんや先生がいらっしゃる場合もあります。
いらっしゃる地域も様々で、夏休みには、愛知県の方がいらっしゃいましたし、日本全国からおいでいただいてます。
当社としても工場見学は、とても重視しています。
観光資源にもなるので、地域に多少なりとも貢献できればと思っています。

Q.インターネットだと質感や品質まで表現するのは難しいですよね。

そうですね。それは、やはり「どうやって情報発信をしていくか」という上での当社の課題です。
実物を見ないで中々お買い求めいただけないんです。
売る側も提供される側も実際にモノを工場でご覧いただいて、お買い求めいただくほうがお互い嬉しいんじゃないかと思います。
お客様にも「素晴らしいですね」と感動していただけます。在庫状況によっては、3カ月先までお待ちいただく場合もあるんですが、皆さん、ワクワクしながらお待ちいただいているようです。

オリエンタルカーペット社二人で織る作業の様子

糸と糸の間に鋏を入れてカットする工夫も施している。インターネットや写真を見ただけでは、この細かい部分までは中々感じることができない。

Q.一度お買い上げいただいたら100年持つとおっしゃっていましたが、アフターケアのサービスもあるんですか?

はい。あります。やはり絨毯を100年使っていただくためには、メンテナンスも必要です。クリーニングもします。
何年かに一度、当社にクリーニングに出していただいて、独自の丸洗いや毛先の刈り込みでまた絨毯を蘇らせるんです。そして、またお使いいただく。その繰り返しで品質を100年維持することができるんです。
また絨毯には1枚1枚番号をつけています。この番号は糸の番号にもなっていて、ずっと保管しています。絨毯に虫食いや煙草の火で穴があいたとか補修が必要な時には、この同じ糸を使って補修するんです。
その時の環境や気温の変化により糸の色も変わってきます。
絨毯を作った糸を同じ年月で保管して、その当時の糸を使う。そういうアフターケアもやらせていただきます。
これも100年お使いいただける要因の一つですね。

Q.山形の企業の方々は、地元に対する思いや地域貢献、人材を地域皆で育てていこうとか、また、伝統工芸を伝統を守りながらもそれをどう発展させていくかということに積極的に取り組んでいるようですね。

そうですね。織物に限らず全般的な産業、モノづくりの中で「色々工夫をして、よりよいものを作りたい。」そういう思いが強いと思います。
例えば、お菓子。銘菓と言われる「他県にお土産に持っていくお菓子」は数々あるんです。ただ、他県から来る観光客の数が首都圏に比べて圧倒的に少ないので、工夫をしてモノづくりをしていかないと消費に結びつかないんです。
ハングリーさがモノづくりに対する、「良いものを造りたい」「自分達にしか造れないものを造りたい」という情熱に向かっていったんじゃないかと思います。
当社も、新しい試みとして、工業デザイナーの奥山氏等、様々な分野のデザイナーの方とコラボレーションをして今までにない独自の絨毯づくりを始めています。

オリエンタルカーペット社コラボレーション

新しい試みとして、デザイナーとのコラボレーションにより、新しい作品を生みだしている。
左の写真は、世界的な工業デザイナー奥山清行氏デザインの絨毯。
右の写真は、コスチューム・アーティストひびのこづえ氏デザインの椅子。

オリエンタルカーペット社奥山氏のデザイン画と絨毯

Q.今とても大切にされていて、今後も大切にしていきたいと考えていることは何ですか?

モノづくりに限らず何でもそうですが、一人では出来ないんです。自分の師匠となる人から教わって、そして自分が次の世代に残していく。そこが大切だと思います。
教わる、人の話しを聞くことが出来る人が、次の世代に受け継いでいけるんだと思います。今までも、そしてこれからも大切にしていきたいですね。

オリエンタルカーペット社絨毯

壁一面に飾られている絨毯。絨毯とは思えない程、細かい色の違いを再現している。

プロフィール

オリエンタルカーペット社ロゴ

社名

オリエンタルカーペット株式会社

設立

1946年6月(創業1935年)

本社

〒990-0031 山形県東村山郡山辺町大字山辺町21番地

代表取締役社長

渡辺 博明

従業員数

40人

オリエンタルカーペット様

昭和10年、中国から7名の緞通技術者を招き、手織じゅうたんの技術を導入し創業し、文化としての伝播でなく、全くの異形として山形緞通が生まれました。以来、日本人の美意識とその手による「日本のじゅうたん」づくりを実現して、ご家庭から内外の著名建造物に納入しておられます。

同社ならではの一貫体制でのじゅうたんづくり、敷き込みの直接管理、クリーニングやアフターメンテナンスの設備と技術で、お客様に付加価値の高い商品とサービスを提供しています。今まさにITに代表されるグローバル化の時代、だからこそこれまで以上に『心のゆたかさ』が問われる時代であると考え、これまで育んできた伝統、技術を継承進化させ、ご家庭から施設のインテリアまで‘ものづくり’を通じて『心の豊かさ』をご提供できる企業をめざしています。

関連リンク

オリエンタルカーペット社 工場見学のご案内

オリエンタルカーペット社では、山形県の本社・工場にて工場見学を実施しています。
「糸を紡ぐ・染色・織り」の作業をはじめ、同社独自の技術である「仕上げのマーセライズ処理」まで、絨毯づくりの一連の作業と同社内にある資料館をご覧いただくことができます。
同社ならではの、一貫体制による絨毯づくりと、熟練の技術者による高品質な絨毯を是非、お確かめ下さい。

工場見学のお申し込みは、オリエンタルカーペット本社、電話番号: (023)664-5811まで。

編集後記

編集後記

普段私達は、自宅や会社、ホテルや旅館等の宿泊施設等、様々な場所で毎日と言っていい程、絨毯と関わっているかもしれません。
「あっ、これは絨毯。」そう意識しない程ごく当たり前のように私達の身近にあるものです。
今回、オリエンタルカーペット社にお邪魔して、私の絨毯に対するイメージが「身近にあるものから、芸術作品」へと全く違うイメージに変わりました。
絨毯を織る工程をテレビ番組で目にしたことはありましたが、「細かい設計図を見ながらの織の作業」「デザイン画や割付け図(設計図)」「マーセライズ処理」等を実際に間近で見て、お話しを伺い、計算しつくされた工程、そして品質へのこだわりに本当に感心しました。その後に資料室や展示室で完成品や職画を見ると更に感動します。
絨毯の歴史、同社の歴史、代々社員の方に受け継がれる技術と誇り、そしてお客様や社員を大切にする心・・・
日本国内はもとより、世界の顧客に愛される日本人の美意識が生みだす「日本の絨毯」は、その全てを詰め込んだ素晴らしい芸術作品でした。
お忙しい中インタビューにお応えいただきました国井さん、お仕事中の現場を訪ねたにも関わらず嫌な顔一つせずお迎えいただいた社員の皆様、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
今度は、自分の絨毯を購入するために訪ねたい・・・そんな風に思った今回のインタビューでした。

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