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日立ソリューションズ東日本

斎藤茂吉記念館と斎藤茂吉

斎藤茂吉記念館

アララギ派の歌人として、また医学、書画、文筆などにも多彩な才能を表し、近代文学史にすぐれた業績を残した歌人齋藤茂吉。明治15年、上山市金瓶に生まれた茂吉は医師・歌人として大成した後も、故郷の自然を生涯忘れず、多くの秀歌を残しています。彼が追求し続けた「写生道」。それは、生涯山形であった茂吉の素朴さ、純粋さといった魂に共鳴する素直な表現だったのかもしれません。
齋藤茂吉の生地山形県上山市金瓶の南の丘に、昭和43年秋開館しました。(平成元年に建物の増改築を実施)ここは、最上川支流の須川のほとりに、東に蔵王連峰を仰ぐ景勝の地で、明治14年秋、明治天皇が東北巡幸の際に小休所を記念して、みゆき公園とよばれています。
館内には、近代短歌史上に重要な位置を占める歌人で精神科医の齋藤茂吉が残した業績や、生活を伝える書画などの資料を中心に収蔵・展示しています。

常設展示室

斎藤茂吉記念館

1.赤き華あかき光を

金瓶に生まれ育った茂吉が、上京、のちに作歌を志し、第一歌集『赤光(しゃっこう)』を出した大正2年までを紹介します。また森鴎外主催の観潮楼歌会を通じて知己となった歌人、「アララギ」に結集した歌人たち、さらに芥川龍之介など、茂吉が深く交遊した人びととその業績も合わせて紹介します。

斎藤茂吉記念館

2.一本の道とほりたり

歌集『赤光』刊行後、養父斎藤紀一の次女輝子と結婚、長崎の医学専門学校に赴任、歌集『あらたま』の刊行、そして渡欧、帰国後焼失した病院の再建、柿本人麿の研究、『寒雲』以後のあいつぐ歌集の刊行、そして戦火が急速に激しくなるころまでを紹介します。

斎藤茂吉記念館

3.逆白波のたつまでに

昭和20年の金瓶への疎開、さらに翌年の大石田への移居から、昭和22年の帰京、文化勲章、そして70歳と9ヶ月で終焉をむかえるまでを紹介します。

斎藤茂吉記念館

4.茂吉以降の歌人

斎藤茂吉以降に、作歌活動を展開した人びとの作品を紹介します。また、平成元年度創設の齋藤茂吉短歌文学賞受賞者と、その作品も紹介しています。

ご利用案内

開館時間
9:00~17:00
入館受付は16:45まで

休館日
年末年始
7月の第2週の7日間(日曜日~土曜日)

入館料

個人

団体(10名以上)

大人

500円

400円

学生

250円

200円

小人

100円

50円

お問合せ先

財団法人 斎藤茂吉記念館
〒999-3101 山形県上山市北町字弁天1421
TEL 023-672-7227(代) FAX 023-672-2626
<オフィシャルサイト>
http://www.mokichi.or.jp/

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