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日立ソリューションズ東日本

青葉城跡と伊達政宗

永禄10年(1567)8月、米沢城主・伊達輝宗の長子・梵天丸が誕生しました。後の伊達政宗です。5歳のとき、疱瘡(ほうそう)にかかり片目を失った政宗ですが、15歳のときに初陣を飾り、以後独眼で戦乱の世を駆け抜けました。政宗は、秀吉・家康の2大巨人を相手に天下とりの野望を待ち挑みました。一方では仙台城と城下町の建設など藩政にも力を注ぎ、さらに黒船を建造して日本からヨーロッパ(ローマ、スペイン)へ初の欧州派遣使節を送るなど、国際的な活動にも積極的でした。青葉城は慶長5年(1600)関が原の戦いの年、政宗により築城を開始されました。

青葉城

伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。標高120m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は、将軍家康の警戒を避けるために、あえて天守閣は設けなかったといわれています。残念ながら今では城は消失し、石垣と再建された隅櫓が往時をしのばせるのみ。それでも、政宗公騎馬像の前に立てば、天下とりの野望に燃えた政宗公と同じ視線で、市街を展望できます。
青葉城資料展示館では、コンピューターグラフィックスによる青葉城復元映像などが見られます。周囲には仙台ゆかりの土井晩翠や島崎藤村の文学碑も。

交通案内

仙台市営バス
JR仙台駅西口バスプール9番乗り場より約20分
青葉城址バス停下車すぐ

るーぷる仙台
JR仙台駅西口バスプール仙台駅前バス停(15-3番)より約20分
仙台城址バス停下車すぐ

お問合わせ先

青葉城資料展示館
TEL 022-227-7077

[青葉城跡と伊達政宗]に掲載の記事の著作権は、宮城県仙台市に帰属します。

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