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相馬野馬追

相馬野馬追

「相馬野馬追」は、福島県原町市を中心に相馬、双葉両郡にわたる旧相馬藩領(二市六町一村)あげて開催される国の重要無形民俗文化財。戦国時代のその昔から一千有余年の歴史に彩られた日本を代表する伝統行事です。
甲胃に身をかためた600余騎の騎馬武者が、太刀を腰に、伝来の旗差物を背につけて、草いきれにみちた夏の野原を疾駆する、勇壮華麗にして豪華絢爛な戦国時代絵巻が繰り広げられます。その昔は5月の行事でしたが、この季節が梅雨にかかるため今では7月23日~25日の3日間にわたって開催されます。
「相馬野馬追」の由来は一千年以上の昔に遡ります。相馬家の始祖「平小次郎将門(たいらのこじろう まさかど)」が、相馬御厨(みくりや)の官職にあった頃、新しい軍事力に馬の活用を考え、下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県流山付近)の牧に野馬を放牧し、関八州(北関東八ヶ国)の兵を集め、野馬を敵兵に見立て野馬を追い、馬を捕える軍事訓練を実施しました。その時に、捕えたられた馬を神前に奉じ妙見の祭礼を行ったことに端を発すると伝えられています。その後、練兵と合し、元禄の頃、武田流の軍法を取り入れるようになって規模はさらに大きくなりましたが、幕府の怒りに触れることをはばかり、相馬の氏神の祭事として今日まで続けられてきました。祭りは、相馬三妙見社の鎮座する町、相馬市・原町市・小高町の3隊が合流して挙行されます。

相馬野馬追

7月23日は出陣の宵乗りで、早朝の打ち上げ花火を合図に各地で進発の準備が始められます。相馬市の中村城からは、藩主の出陣になぞらえた物々しい隊列が途中合流してくる騎馬武者を集め、本陣山を目指してパレード。原町市の太田神社、小高町の小高神社の神興供奉隊とともに雲雀が原に陣を張り、馬場潔めの式後に宵乗りの競馬が行われます。
7月24日はお行列・古式甲胃競馬の後、祭りのクライマックスである神旗争奪戦が行われます。かつては陣容を整え敵兵に見立てた野馬を狩ったといわれますが、現在は赤・青・黄に染め分けた三妙見社の旗が花火とともに空中に上げられ、それを追って武装した騎馬武者600余騎が人馬一体の妙技を披露。夕刻には武者たちが小高町の旧城に集まり、盛大な火祭りが催されます。
最終日の25日には小高神社で、潔斎した白衣の青年たちが矢来の中に追い込まれた一群の馬を素手のまま捕える、駿馬の神前献上を形どった野馬懸が繰り広げられます。


[相馬野馬追]に掲載の記事の著作権は、相馬野馬追執行委員会に帰属します。

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