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日立ソリューションズ東日本

佐藤忠良先生のコーナー

佐藤忠良氏が2011年3月30日お亡くなりになりました。ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみを申し上げます。

佐藤忠良氏は宮城県に生まれ、少年期を北海道で過ごしました。ロダン、マイヨール、デスピオなど新しい生命主義の作品に惹かれ彫刻家を志します。生命力と存在感にあふれ、平明で詩情豊かな氏の作風は、現代具象彫刻の一つの到達点ともいわれております。
当社では、意欲と個性にあふれた技術者を育成するには、オリジナルなカルチャーが肝要と考え、その醸成に取り組むとともに氏の作品をモチーフに経営姿勢や事業内容について社外へ発信したいと考え、1994年から2005年まで宮城県美術館及び写真家村井修氏のご協力のもと、彫刻家佐藤忠良氏の作品をモチーフにしたポスターカレンダーを制作致しました。
当社のお客様はもとより、宮城県そして日本全国のファンの方々からお葉書を頂戴し、忠良氏の人気の高さとファンの方々の熱い思いを感じることができました。

生前のご功績に対し敬意を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

目次

ポスターカレンダー展

クリックすると詳しい内容がご覧になれます

撮影 村井 修氏

帽子・立像

1994年版カレンダー
「帽子・立像」Hat.Standing figure
1974年 宮城県美術館所蔵

ボタン(大)

1995年版カレンダー
「ボタン(大)」Button(Large)
1967~69年 宮城県美術館所蔵

帽子・夏

1996年版カレンダー
「帽子・夏」Hat.Summer
1972年 宮城県美術館所蔵

若い女・シャツ

1997年版カレンダー
「若い女・シャツ」Young Woman.Shirt
1982年 宮城県美術館所蔵

若い女の像

1998年版カレンダー
「若い女の像」Statue of a Young Woman
1983年 宮城県美術館所蔵

ブラウス

1999年版カレンダー
「ブラウス」Blouse
1983年

光陰

2000年版カレンダー
「光陰」Light and Shade
1996年

緑

2001年版カレンダー
「緑」Green
1989年

夏

2002年版カレンダー
「夏」Summer
1976年

帽子・あぐら

2003年版カレンダー
「帽子・あぐら」Cross-Legged Nude with Hat
1973年

女・夏

2004年版カレンダー
「女・夏」Woman-Summer
1985年

緑の風

2005年版カレンダー
「緑の風」GreenWind
1977年

佐藤忠良氏について

人と作品

 佐藤忠良は宮城県に生まれ、少年期を北海道で過ごしました。ロダン、マイヨール、デスピオなど新しい生命主義の作品に惹かれて彫刻家を志し、東京美術学校彫刻科に進みます。卒業の年に、本郷新、柳原義達、舟越保武らとともに新制作派協会彫刻部を創立、以後現在まで、新制作展を中心に創作活動を繰り広げています。
戦争によって一時制作を中断されますが、一貫して塑造による具象表現の道を歩んできました。ブロンズに鋳造される作品のほとんどは人間像です。身近な人物たちをモデルにした生命感みなぎる頭像、清新な女性像、純真無垢なこどもの像、わずかの動物たち・・・佐藤忠良のモティーフは限定されています。

 この彫刻家の評価をゆるぎないものにしたのは、シベリア抑留から帰還直後に発表した「群馬の人」です。長い間イメージを暖めていたというこの頭像は、日本人固有の体質を表現した秀作として多くの批評家の賛辞を得ました。内面の美を追い求めたこの時期の一連の庶民の頭像作品は、明治期に西洋から移入された近代美術の手法を、初めて日本の風土の中に消化した戦後彫刻史上の記念碑的作品群といえます。
1970年代になると<帽子>シリーズに代表される現代感覚あふれる新境地を開拓します。自然体のポーズ、さりげないコスチューム、抑制されたモデリングの人体。平明で詩情豊かな作風は、現代具象彫刻のひとつの到達点ということができます。1981年にはフランス国立ロダン美術館の招請で個展を開催し、これを契機にフランス、イタリアの美術アカデミーの会員に迎えられるなど、国際的にも高い評価を得ました。

 佐藤忠良作品への支持、共感の大きさは、全国各地の公共空間に設置された彫刻の数によってもうかがえます。初期から近作まで、作風は次第に変貌を遂げますが、その作品には、見る者の胸をうつ熱いヒューマニズムの血がながれ続けています。

佐藤忠良氏 略歴

西暦

略歴

1912(明治45)

7月4日、宮城県黒川郡落合村舞野に生まれる。

1918(大正7)

父死去。翌年、母、弟忠行とともに母の実家の移住先である北海道夕張町(現夕張市)に移る。

1925(大正14)

札幌第二中学校(現札幌西高等学校)に入学。
在学中、北大畜産科に勤務する群馬県出身の岩瀬久雄と共同生活をおくり、大きな影響を受ける。

1932(昭和7)

絵画勉強のため上京。前年に上京していた船山馨の下宿に同居し、川端画学校に通う。

1934(昭和9)

東京美術学校彫刻科塑造部に入学。

1939(昭和14)

東京美術彫刻科塑造部を卒業。
本郷新、柳原義達、舟越保武ら7名で新制作派協会彫刻部創立に参加、会員となる。
第4回新制作派展(東京府美術館)に出品。以後現在まで(9・10・11・22回を除き)毎年出品を続ける。

1944(昭和19)

召集され満州に渡る。

1945(昭和20)

シベリアにて抑留生活(1948年まで)。

1948(昭和23)

夏、シベリアから帰還。

1953(昭和28)

国立近代美術館(東京)に「群馬の人」(1952年作)が収蔵される。

1960(昭和35)

第3回高村光太郎賞受賞。

1966(昭和41)

東京造形大学教授となる。

1973(昭和48)

メキシコ、アメリカ、ヨーロッパを旅行。ムーア、マリーニ、マンズー、ファッツィーニ、クロチェッティと会う。

1974(昭和49)

第15回毎日芸術賞受賞。
昭和48年度芸術選奨文部大臣賞受賞。

1975(昭和50)

第6回中原悌二郎賞受賞。
第3回長野市野外彫刻賞受賞。(1977年にも受賞)

1981(昭和56)

佐藤忠良展(国立ロダン美術館、パリ)に、彫刻117点、デッサン20点を出品。渡仏。
フランス・アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙される。
パリ・国立ロダン美術館開催記念:ブロンズの詩・佐藤忠良展(国立国際美術館、他国内8会場)を開催。

1983(昭和58)

ニューヨーク・ウィルデンスタイン画廊で個展を開催。

1984(昭和59)

ロンドン・ウィルデンスタイン画廊で個展を開催。
ローマ・アカデミア・ディ・サンルカの会員に推挙される。

1988(昭和63)

佐藤忠良のすべて(岩手県民会館、盛岡、他10会場)を開催。

1989(平成元)

1988年度朝日賞受賞。

1990(平成2)

宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開館する。

1995(平成7)

宮城県大和町ふれあい文化創造センター内に佐藤忠良ギャラリーが開設される。

1997(平成9)

"佐藤忠良と猪熊弦一郎展"を丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて開催。
Le Japon Sculpture moderne,1935-1955(「日本の近代彫刻1935-1955」)(デスピオーヴレリック美術館、フランス)に、彫刻8点、素描3点を出品。

1998(平成10)

佐川美術館「-ブロンズの詩-佐藤忠良館」が開館。

村井修氏について

プロフィール

1928年、愛知県に生まれる。東京写真工専(現、東京工芸大学)卒業。
1953年より、建築・彫刻などの撮影を始める。著書に、「写真都市」(用美社1983)「世界の広場と彫刻」(現代彫刻懇談会、中央公論社 1983)「写真集光・形」(求龍堂 1989)「石の記憶」第6回東川賞受賞(リブロポート 1989)「AZUMA」(リブロポート 1992)など多数。

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